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先週の説教より

「夜は更け、日は近づいた」(アドベント第1主日) ローマの信徒への手紙13章11-14節(11.29説教)

 「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」(11節)と言って、「時」の認識が語られています。今がどんな時であるか、それは「夜は更け、日は近づいた」(12節)時である、と言うのです。

 「夜が更ける」とは、時計の針で言えば、夜中の12時を目指して時が進んでいるということです。そして「日が近づく」とは、時計の針が夜中の12時を回ったということです。時計の針が夜中の12時を回れば、後は「夜明け」を目指して時は進んで行くばかりだからです。そういう時の状況を指して、「夜は更け、日は近づいた」と言っているのです。そして今は、時計の針が夜中の12時を回って、夜明けを目指して進んでいる時である、と言っているのです。

 どこからこのような「時」の認識を得て来ているのでしょうか。それは、神の御子イエス・キリストが十字架につけられたことが、時計の針で言えば夜中の12時の出来事、夜の闇が最も深くなった「真夜中の出来事」と理解しているからです。言い換えれば、人間の罪が最も深くなった出来事、或いは、人間の罪が本当に深いことが露わになった出来事が主イエスの十字架の出来事であると理解しているからです。なぜなら、まことのメシアである主イエスが否定され、偽りのメシアとして断罪され、呪いの木に付けられたからです。

 その十字架の死を主イエスが真実に受けてくださることによって、復活の命の道が開かれ、聖霊降臨の出来事が起こり、今や主イエスが聖霊において救いの働きをされ、その主の働きが夜明けの完成の時(再臨)を目指して進んでいる、そういうことが起こっているのです。その意味で、今は「夜は更け、日は近づいた」時なのです。

牧師 柏木英雄