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先週の説教より

「すべての人に仕える者に」 マルコによる福音書9章33-37節(9/20説教)

 主イエスの受難予告に不安を抱く弟子たちは、自分たちの中で誰が「いちばん偉いか」有能であるかを論じ合ったのです(34節)。そのことで主の弟子としてのアイデンティティーを確認しようとしたのではないでしょうか。

 その弟子たちを呼び寄せ、主イエスは「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(35節)と言われたのです。なぜでしょうか。「すべての人の後」にこそ主の祝福があるからです。「すべての人に仕える者」の中に主のご臨在の恵みが満ち溢れるからです。主イエスこそ、苦難の歩みの中で「すべての人の後」に立ち、「すべての人に仕える者」になられたからです。そこに、やがて実現される主イエスの十字架と復活の恵みが満ちあふれることを弟子たちに教えようとされたのです。

 また主イエスは、子供を弟子たちの真ん中に立たせ、抱き上げ、「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(37節)と言われました。幼子の中に、神の御前によるべない無力な罪人としての自分の姿を見るのです。いや、そのような者を憐れみ、愛し、復活の命をもって生かしてくださる恵み深い主イエスの姿を見るのです。そのようなまなざしをもって幼子を見るのです。それが幼子を受け入れることです。幼子の中に主が共にいてくださるのです。幼子を愛することが主を愛することであり、主の恵みに生かされることなのです。

 主の弟子として一番大切なことはこのようなことであると言って、主イエスは主の受難におびえる弟子たちに主の弟子として生きる具体的な指針を示してくださったのです。

牧師 柏木英雄