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先週の説教より

「ナザレの人イエス・キリストによって」使徒言行録3章1-10節 (6/14説教)

 エルサレム神殿の「美しい門」の傍らで物乞いをしていた男に向かって、ペトロは「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と語り、男の「右手を取って彼を立ち上がらせた」のです(6~7節)。

 この「右手を取って立ち上がらせる」というペトロの「即時的な」行動が男の心を強く捕らえたのではないでしょうか。「わたしもナザレの人イエス・キリストの名を信じて、この名のお方の力によって生きていきたい」と願う心(信仰)が男の中に生まれたのではないでしょうか。その時、ペトロの言葉と行動を通して復活の主イエスが働き、男の心にそのような願い(信仰)を起こさせてくださったのです。

 それにしても、何と力強いペトロの即時的行動でしょうか。ペトロは信じ切っていたのです。「この男も、わたしたちと同じように復活の主イエスの御力によって生きることができる。主イエスはこの男のためにも十字架の死を遂げ復活されたのだから。」そういう思い(信仰)がペトロをしてこのような行動をとらせたのではないでしょうか。このペトロの言葉と行動を通して、復活の主イエスが働いてくださったのです。

 「民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。彼らは、それが神殿の『美しい門』のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた」(9~10節)のです。しかし本当に驚くべきは、この人の魂の内に主を信じる信仰が与えられたことなのです。

牧師 柏木英雄