先週の説教より
「わたしに触れたのはだれか」 ルカによる福音書8章40-48節(8/9説教)
「十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた」(43節)のです。この女性が「イエスのことを聞いた」(マルコ5章27節)のです。女性はどのように主イエスのことを聞いたのでしょうか。主イエスが常に神と共にあり、罪から守られた真実の清さに生きておられる御方であることを聞き知ったのではないでしょうか。
その時、女性は、勿論、自分の病を癒していただきたいと願ったでしょうが、それ以上に、主イエスの清さに与って自分も罪清められた者として生きたい、と願ったのではないでしょうか。主イエスの清さに与ることができるなら、たとえ病が癒えなくても生きていけると思ったのではないでしょうか。長い病との戦いとどのような医者によっても癒されることができなかった現実の中で、女性はそのような「信仰」(48節)を与えられたのではないでしょうか。
「この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった」のです。すると、主イエスは「わたしに触れたのはだれか」と問われたのです。「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言って、なおも自分に触れた者を探そうとされる様子から、「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した」のです(45~47節)。
主イエスは、本当は分かっておられたのではないでしょうか。多くの人が主イエスの体に触れている中で、一瞬、心からの祈りの内に主イエスの服の裾に触れた女性のことを。主イエスは、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(48節)と女性を励ますために、女性が自ら名乗り出ることを待って、あえて知らないふりをされたのではないでしょうか。
牧師 柏木英雄
