先週の説教より
「ただ信じなさい」 ルカによる福音書8章49-56節(8/16説教)
主イエスが長血を患って苦しんでいた女性と話している間に会堂長の家から人が来て、「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません」と言ったのです。しかし主イエスは、その言葉にたじろぐことなく、「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」と言われたのです(49~50節)。
なぜ、主イエスはたじろぐことがなかったのでしょうか。それは主イエスが死に勝利する神の全能の命に中に既に生きておられたからです。主イエスが、聖霊の助けの中で、罪から守られた清い歩みをすることがおできになっていたということは、主イエスが既に死に勝利する神の全能の命の中に生きておられたことを意味するからです。罪から守られた清い歩みをすることと、死に勝利する神の全能の命に生きることは、同じことを意味するからです。それ故に、主イエスは死の現実にたじろぐことがなかったのです。
「ただ信じなさい」とは、主イエスがそういう御方であることを信じ、信頼しなさいということです。そうしたら、娘もその主の命に与って、死から生き返えることができるからです。ただ、生き返っても、そのままでは、再び罪の中に生きることになります。その時こそ、主イエスを信じて、主イエスの命に生かされるのです。その時、娘は真に「救われる」ことができるのです。そういう意味を込めて、主イエスは「ただ信じなさい」と言われたのです。
「イエスは娘の手を取り、『娘よ、起きなさい』と呼びかけられた。すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図された」(54節以下)とあります。主イエスはまるで眠っている娘を起こすように娘を生き返らされたのです。主の御業の厳粛さを思います。
牧師 柏木英雄
