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先週の説教より

「墓場を住まいとしていた」 ルカによる福音書8章26-31節(7/26説教)

 「悪霊に取りつかれている男」は、主イエスを見ると「わめきながらひれ伏し」、大声で「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」と叫びました(27~28節)。このことから「悪霊に取りつかれている男」とは、決して単に心を病んだ人ではなく、主イエスが神から遣わされたメシアであることを知り、主イエスを受け入れることに苦しんでいる人、つまり、信仰に深く悩んでいる人、と言うことができるのではないでしょうか。

 信仰とは、心の中に主イエス(神)を受け入れることですが、それは深い心の戦いを意味します。主イエスを受け入れたくない心、もっと気ままな自分中心の思いでいたいという自我との戦いを意味するからです。その意味では「悪霊に取りつかれている男」は、むしろ良心的で正直な人、自分の内面をごまかすことができない不器用な人なのではないでしょうか。

 主イエスを信じるべきであるという思いと信じたくないという思いがぶつかり合って、自分の中で収取がつかなくなっているのです。私たちは、二つの思いの間でバランスを取って破綻をきたさないように生活しているのですが、この人はそれができず、二つの思いがぶつかり合うままに苦しみ、そのために人間として正常な生活をすることができなくなっているのです。「この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた」(27節)とある通りです。

 この人は、信仰と不信仰がぶつかり合い、その狭間で苦しむ私たち罪人の姿を正直に映し出してくれているのではないでしょうか。そして自らの不信仰(不従順)に悩む自分自身をそのまま主に委ね、主の(死人をよみがえらせる)全能の神の御力によって清めていただく以外に真の解決の道がないことを教えてくれているのではないでしょうか。

牧師 柏木英雄