文字サイズ
  • 文字サイズを中にする
  • 文字サイズを大にする
MENU CLOSE
キービジュアル

先週の説教より

「風と波をお叱りになる」 ルカによる福音書8章22-25節(7/19説教)

 主イエスと弟子たちがガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうと船出した時、「突風が湖に吹き降して来て、彼らは水をかぶり、危なくなり」ました。その時、主イエスは舟の中で「眠って」おられたのです。弟子たちはその主イエスを起こして「先生、先生、おぼれそうです」と叫んだのです(22~24節)。マルコ福音書には「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(4章38節)とあります。深く動揺した弟子たちでした。

 主イエスが嵐の中にあっても舟の中で眠っておられたのは、父なる神に対する「絶対的な信頼」があったからです。たとえおぼれて湖の底に沈んだとしても、父なる神がお守りくださるという信頼です。それは主イエスが既に「復活」を信じておられたということです。たとえ陰府に降っても、神は必ず全能の御力をもって死を打ち破り、復活の命を明らかにしてくださることを主イエスは心から信じておられたのです。その父なる神への絶対的信頼の故に、主イエスは嵐の中にあっても舟の中で眠ることがおできになったのです。弟子たちはその主イエスに信頼すべきだったのです。その主イエスが共にいてくださる限り、神がお守りくださることを信じて、舟を漕ぎ続けるべきだったのです。

 主イエスが起き上がって風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になりました。その主イエスを見て、弟子たちは恐れ驚き「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と言い合ったのです(24~25節)。しかし、弟子たちは風と波を鎮めた主イエスに驚く前に、嵐の中にあっても「眠って」おられた主イエスに驚くべきだったのです。この主イエスの姿の中に、父なる神を信頼し、神が共にいてくださる平安の中に生きておられる主イエスを見て、その主イエスに心からの信頼を抱くべきだったのです。

牧師 柏木英雄