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先週の説教より

「種を蒔く」 ルカによる福音書8章4-8節(6/7説教)

 4節に「大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話になった」とあります。「たとえ」には「謎」という意味があります。つまり、主イエスは集まってきた大勢の人々に「たとえ」を用いて、従って、謎をかけるように、隠すように神の国の福音をお語りになったのです。

 なぜでしょうか。それは主イエスの十字架と復活の出来事がまだ起こっていなかったからです。そのことが起こって初めて、神の国とは主イエスご自身のことであることが明らかになるからです。それ故に主イエスは「たとえ」を用いて、それによって神の国の福音への人々の関心がいよいよ強められることを祈りつつ、神の国の福音についてお語りになったのです。

 主イエスは「種まき」のたとえによって、種が落ちた四つの場所について語られました(5節以下)。「道端」「石地」「茨」「良い土地」について。「道端」とは、初めから主イエスの福音を受け入れない律法学者やファリサイ派のような人のこと。「石地」とは、最初は主イエスを受け入れるが、後になって自分の期待通りのメシアでないことを知って、主イエスを敵に売ったユダのような信仰。「茨」とは、主イエスの十字架の死に躓くが、ユダのように主イエスから離れることなく、なお主イエスの弟子に留まり続けるが、主の弟子として生きることに徹することができなかったユダ以外の他の弟子たちの信仰。

 「良い土地」とは、主イエスの十字架に躓き、全く主の弟子に相応しくない者たちをなお主の弟子として用いてくださる復活の主の限りない愛と赦しに接して、今こそ自分の全てを献げて主の弟子として生きた主イエスの復活後の弟子たちの信仰。いずれにしても「良い土地」とは、自分が「道端」であり、「石地」であり、「茨」のような信仰であることをよく知っている人間のことです。

牧師 柏木英雄