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先週の説教より

「主の食卓の小犬」 マルコによる福音書7章24-30節

一人の異邦の女性が「娘から悪霊を追い出してください」(26節)と言って主イエスの足もとにひれ伏しました。人の手では癒すことのできない娘の重篤な病を「悪霊」の働きによるものと考え、主イエスの助けを求めたところにこの女性の信仰が表されています。主イエスはこの女性の偽りのない信仰を知りつつ、その信仰の真実が明らかになるために、あえて冷淡な態度を取り、「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(27節)と言われたのです。

女性はこの主イエスの言葉に躓きませんでした。主イエスが語られた「まず」と「小犬」という言葉の中に、女性は異邦人に対する愛を敏感に感じ取りました。「まず」とは、まず第一に神の民イスラエルにということですが、その後には、異邦人にも神の救いとしてのパンが与えられるということが含まれていたからです。また「小犬」という言葉は、愛玩用の動物を意味し、その言葉の中に、神の民の家族の中にその一員として「小犬」である異邦人も含まれるという意味が込められていることを女性は感じ取ったのです。

それ故に女性は「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」(28節)と答えたのです。確かに異邦人は神の民イスラエルから見れば小犬のような小さな存在に過ぎませんが、小犬も家族の一員として食卓の下にいて子供のこぼすパン屑をいただきますと言って、主イエスの言葉尻を捕らえ、小犬の権利に訴えて主イエスの助けを求めたのです。この女性の賢明な訴えに主イエスの御心が捕らえられ、「その言葉で十分である」(共同訳29節)と言って、主イエスは娘の病を癒されたのです。主イエスの憐れみの御心が動かされることによって、聖霊による癒しが行なわれたのです。

牧師 柏木英雄