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先週の説教より

「安らかに去らせてくださいます」 ルカによる福音書2章22-38節(12/28説教)

 シメオンは幼子イエスを腕に抱き「わたしはこの目であなたの救いを見た」と言い、「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」(28~32節)と語りました。また、「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています」(34節)と言っています。

 どうしてこのような深い信仰の認識をシメオンは持つことができたのでしょうか。それは、神がこの貧しい幼子と共に人間の現実のただ中においでくださり、人間の貧しい罪の現実をつぶさに味わいながら、その中で救いの御業を行ってくださることを深く思いめぐらした時、シメオンはこのような深い信仰の認識へと導かれたのではないでしょうか。

 その事実の中でシメオンは、神が人間にお求めになるのは、立派な良い行いではなく、心からの罪の悔い改めであることを知ったのではないでしょうか。人間の努力や行いが報われて、それによって救われるべきであると考える者にとって、主イエスの存在は嬉しいものではないのではないでしょうか。しかし、自分には深い罪があり、どんなに努力をしても罪から解放されることができないことを知る者にとって、主イエスの存在ほど有難いものはないのではないでしょうか。

 その意味でこの幼子が「多くの人を倒したり立ち上がらせたりするために」また「反対を受けるしるしとして」定められていることをシメオンは見抜いたのです。それ故にシメオンは、この幼子の中に神が共にいてくださることを(聖霊の助けの中で)知った時、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安からに去らせてくださいます」と語ることができたのです。

牧師 柏木英雄