先週の説教より
「敵を愛しなさい」 ルカによる福音書6章27-36節(11/16説教)
「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない」(27~30節)と主イエスは言われます。
なぜ、主イエスは人間的には全く不可能と思われることを言われるのでしょうか。それは、そのことによって人間の「罪」(自己愛)がいかに深いものであるかを明らかにしようとしておられるからです(32~34節)。それと共に、主イエスは、ここで述べておられる「愛」(敵をも愛する愛!)を本当に実践したのが主イエスご自身であることを言うとしておられるのです。やがて起こるご自身の十字架と復活の出来事を通して。
そのことによって、主イエスは何を言わんとしておられるのでしょうか。それは、私たちが自らの罪(自己愛)を正直に神の御前に言い表し、主イエスの十字架と復活の恵みに頼るように、と言わんとしておられるのです。ここで言われて愛をその通りに実践することではなく、そのような愛に生きることのできない自らの罪(自己愛)を心から神の御前に言い表して、一人の罪人として主イエスの十字架と復活の恵みを通して与えられる主イエスの霊の助けに頼ることを、主イエスは私たちに求めておられるのです。
主の霊の助けに頼る時、私たちは、死人をよみがえらせる神の全能の御力によって新しく造り変えられ、父なる神が「憐み深い」ように私たちも「憐み深い」者として生きる(36節)力を与えられるのです。主イエスはそのことを言わんとして「敵を愛する」愛について語っておられるのです。
牧師 柏木英雄
