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先週の説教より

「一同は聖霊に満たされた」 使徒言行録2章1-13節(6/8説教、ペンテコステ礼拝)

 3節に「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」とあります。聖霊が降ることによって、燃えるような信仰の情熱が弟子たち一人一人の心に与えられたのです。

 聖霊が降るということは、目には見えませんが、天に上られた復活の主イエスが、今、ここに、信じる者たちと共にいてくださるということです。言い換えれば、復活の主イエスの霊的な救いの支配の中に信じる者たちが入れられるということです。それ故に、弟子たちは「主共にいます」(インマヌエル)信仰の確信に満たされ、力強く主イエスを宣べ伝えることができたのです。

 弟子たちの福音宣教のメッセージの中心は、主イエスは十字架にかかって死んだが、復活して生きておられるということです。そして、全ての人間の罪が主イエスの十字架の死によって贖われ、赦され、全ての人が主イエスの復活の命に与って、罪清められた者として生きることができるということです。このことを弟子たちは、聖霊の恵みの中で力強く宣べ伝え始めたのです。このような福音宣教が始められたことによって、主の教会が「誕生」したのです。

 4節に「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」とあります。「ほかの国々の言葉」とは、五旬祭のために来ていたディアスポラ(散らされたユダヤ人たち)の国々(9節以下)の言葉のことです。聖霊を受けた弟子たちは自分の言葉で福音を語ったが、ディアスポラのユダヤ人たちは自分たちの国の言葉で、従って、よく分かる言葉で福音を聞いたと言うことでしょう。これも聖霊降臨日の奇跡として起こったことと理解できます。

 「一同は聖霊に満たされた」とあります。このことが今日、具体的な出来事として起こるのは、主日礼拝においてです。主日礼拝は常にこのことを目指しているのです。「一同が聖霊に満たされ」復活の主の命に豊かに生かされ、力強く主の福音を証しする教会の群れでありたいと心から願います。

牧師 柏木英雄