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先週の説教より

「あの方は、ここにはおられない」(イースター礼拝) ルカによる福音書24章1-12節(4/20説教)

 「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」(5~7節)と二人の天使は墓の中で婦人たちに告げたのです。 

 確かに主イエスは生前、弟子たちにご自身の復活についてお語りになったのです(ルカ18章33節)。なぜ、主イエスはご自身の復活について語ることができたのでしょうか。それは、主イエスが既に聖霊のお働きの中で「死人をよみがえらせる」神の全能の御力によって罪のない清いご生涯を送っておられたからです。つまり、主イエスは既に隠れた仕方で復活の命の中に生きておられたのです。それ故に主イエスはご自身の復活を予告することができたのです。

 主イエスが人間の罪を負う十字架の死を真実に死なれた時、その十字架の死の真実を天の父なる神がご覧になっておられたのです。主イエスの十字架の死が真に人間の罪を贖う死であることを天の神がお認めになったのです。そうであれば、主イエスの十字架の死は真に神に「祝福された」死だったのです。それ故に、陰府(死の世界)にあって死が完全に主イエスの体を支配し尽くそうとした時、三日目に、神の全能の御力が介入することによって、主イエスは罪と死に勝利する復活の命の中によみがえらされたのです。陰府の世界においてそのようなことが起こっていたことを天使たちだけが知っていたのです。それ故に天使たちは婦人たちに主の復活を告げることができたのです。

 復活の主は十字架の主でもあります。主イエスは私たちのすべての罪を十字架の死において担い抜き、復活の命を現してくださいました。この復活の主は、今も、聖霊において私たち一人一人の魂の内に臨んでいてくださいます。この復活の主を信じて、日々、その恵みの中に生きていきましょう。

牧師 柏木英雄