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先週の説教より

「預言は教会を造り上げる」 コリントの信徒への手紙一14章1-4節(10/13説教)

 1節に「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」とあります。「愛を追い求めること」と「預言する賜物を熱心に求めること」の二つが述べられていますが、この二つはどういう関係にあるのでしょうか。キリストの愛(霊的臨在)を祈り求めつつ、キリストの愛に生かされる恵みの中で「預言する」(御言葉を語る、説教する)ことの大切さが語られているのではないでしょうか。キリストの愛(霊的臨在)の中で御言葉を語って初めて、その言葉は「神の言葉」として、聞く人の心を捕らえることができるのです。キリストの愛(霊的臨在)が伴わない説教は、どんなに熱心に、力強く語っても「無に等しい」(13章2節)のです。

 2節以下に「異言」のことが述べられています。異言も神の「神秘」(啓示の秘義)に触れて、その感動の中で語っている故に、それ自体は決して否定されるべきものではないのです。ただ、異言は「神に向かって」語っており、「人に向かって」語っているのではない故に、「教会を造り上げる」のには役立たないのです。預言(御言葉の説き明かし、説教)こそ「人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰める」ことができ、「教会を造り上げる」ための最も大切な手段である、とパウロは言うのです。

 言い換えれば、「愛」(キリストの霊的臨在)の恵みの中で語られる御言葉の説き明かし(説教)こそ、真に「教会を造り上げる」のです。主が共にいてくださる(インマヌエル)の恵みの中で語られる説教に、主が伴ってくださり、主キリスト御自身が聞く人の魂に臨んでくださるからです。主キリスト御自身が聞く人の魂を「造り上げ、励まし、慰めて」くださるからです。そういう御言葉の説き明かし(説教)が求められているのです。

 それ故に、パウロは「キリストの愛」の中で「預言する賜物を熱心に求める」ことの大切さを語っているのです。

牧師 柏木英雄