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先週の説教より

「古いパン種を取り除け」 コリントの信徒への手紙一5章1-8節(10/22日)

 1節に「あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで~」とあります。異邦人の間にもないほどの不品行が教会の交わりの中で行われているとすれば、それはそこに信仰の問題があるということです。正しい福音理解に基づいた信仰生活でないために、そのような不品行が許容されてしまっているのです。

 誤った福音理解とは何でしょうか。それは、主イエスの十字架の死によってすべての罪が赦されていると信じる信仰から来ているのです。確かに主イエスの十字架の死によって、私たちのすべての罪は赦されているのです。これほど大きな恵みはありません。私たちのどんな罪も、主イエスの十字架の死によって贖われていない罪はないのです。ですから、私たちはいつでもこの主イエスの十字架の赦しに頼って、その盤石の基盤の上に安心して生活することが許されているのです。

 ただ、主イエスの十字架の赦しは、主イエスの復活の命に与って清さに生きるための赦しなのです。その点で、どんなに失敗しても何度でも挑戦することができるための赦しなのです。その赦しに甘えて、どんな罪も赦されているから、何をしても構わないと考えるような赦しではないのです。主の復活の命に生きるための赦しなのです。この点でコリント教会の人たちは主イエスの十字架の赦しの恵みをはき違えているのです。そのために異邦人の間にもないような不品行が教会の中でまかり通ってしまったのです。

 正しい福音理解から逸れて自分に都合の良い信仰理解をしていながら、それにもかかわらず自分たちは信仰のことがよく分かっているとする高ぶりの心、それが「古いパン種」です。それが元凶なのです。そのような古いパン種を取り除いて、正しい福音理解に生きることが真剣に求められているのです。

牧師 柏木英雄