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先週の説教より

「高ぶることがないように」 コリントの信徒への手紙一4章6-8節(9/24説教)

 6節後半に「『書かれているもの以上に出ない』ことを学ぶ」とあります。「書かれているもの」とはパウロが引用している旧約聖書(3章19,20節)に記されていることであり、「この世の知恵は、神の前では愚かなものである」(3章19節)という聖書の言葉を踏まえるということでしょう。そのことを踏まえて、パウロもアポロも「それぞれ主がお与えくださった分に応じて」(3章5節)神に仕えている者なのだから、「一人を持ち上げてほかの人をないがしろにし、高ぶることがないように」(6節)とパウロは言っているのです。

 信仰には、私たち人間の知恵と力が及ばない神の「選び」の問題があります。主イエスが「わたしに従って来なさい」と呼びかけられ、その呼びかけに私たちがどう応えようかと判断する時、その判断が主御自身によってはかられているのです。私たちの判断の中に主への信頼と従順があることを主が認めてくださる時(そこに神の選びがある!)、主の招きの言葉が「神の言葉」として私たちの魂の内に働き、主に従う信仰の決断が私たちの中に生まれるのです。そうであれば、私たちの信仰の決断は確かに私たち自身の決断ですが、その信仰の決断は主によって導かれたものなのです。それなら、私たちは自分の信仰の決断を誇ることはできず、主がそのように導いてくださった主の憐れみの恵みの選びに感謝し、いよいよ主への謙遜を学ぶべきなのです。

 主イエスはこう言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9章23節)と。自分を捨てるとは、神の御前に自らの罪を言い表し、砕かれた心をもって主に頼ることです。そこに主の霊的な祝福があるのです。「自分を高ぶらせる」ことこそ、信仰者が最も警戒すべき敵なのです。

牧師 柏木英雄