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先週の説教より

「成長させてくださる神」コリントの信徒への手紙一3章1-9節(8/13説教)

 3~4節にこうあります。「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりませんか。ある人が『わたしはパウロにつく』と言い、他の人が『わたしはアポロに』などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人に過ぎないではありませんか。」パウロは本当は「霊的なこと」「固い食物」を与えたかったのです。しかし、コリント教会の人たちがそれを受け入れる力がなかったために、やむを得ず信仰の「初歩的なこと」「乳」を与えざるを得なかったのです(2節)。そのためか、コリント教会の人たちは相変わらず「肉の人」「ただの人」で、ねたみや党派争いをやめることができない、とパウロは嘆いているのです。

 5節以下でパウロはこう言っています。「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた人です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」パウロ自身が自分を相対化して語っています。決して自分を特別扱いしていません。このような言い方ができるところに、パウロが「十字架にかかり、復活し、今も生きて働いておられる」(2章2節)キリストに生かされている「霊の人」であることが分かります。

 神が「成長させてくださる」と言われています。信仰の成長とは何でしょうか。キリストとの「結びつき」を深めることではないでしょうか。どんなに罪深い自分の姿を見なければならないとしても、否、その時こそ、いよいよ従順に「十字架にかかり、復活し、今も生きて働いておられる」キリストにより頼み、それによって強く生かされることではないでしょうか。私たち一人一人を顧みて信仰の成長を与えてくださる神に、望みを置いて生きていきましょう。

牧師 柏木英雄