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先週の説教より

「至るところで主の名を呼ぶ」コリントの信徒への手紙一1章1-3節(6/11説教)

 2節に「コリントにある神の教会」とあり「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々」とあり、「神の教会」「聖なる者とされた人々」ということが強調されています。しかし、現実のコリント教会は党派争いや性的不品行の問題、パウロの使徒職を疑う不信仰など多くの問題を抱えており、とても「神の教会」「聖なる人々」と呼べるような教会ではないように思われるのですが、パウロはそのようにコリント教会を呼んでいるのです。

 それは決してお世辞を言っているのでも建前を言っているのでもなく、「事実」を言っているのです。現実にはどんなに様々の弱さや愚かさがあるとしても、コリント教会は主イエス・キリストを信じることによって、事実「神の教会」であり「聖なる人々」とされているのです。神が事実そのようなものにしてくださっているのです。しかし、そうであれば、その事実に常に立ち帰り、その事実から力を与えられていよいよ「神の教会」「聖なる者とされた人々」にふさわしく生きるようになりなさい、とパウロはコリント教会の人々を励ましているのです。

 更に2節に「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人々と共に」とあります。「至るところで主の名を呼び求める」とは、世界中「至るところで」主の名を呼び求めるということですが、そういう人々(神の教会、聖なる人々!)はまた自らの生活の「至るところで」主の名を呼び求めているということではないでしょうか。そして主の名を呼び求める時、主イエスはその求めに応えて、ご自身の霊的臨在の恵みによって人々を生かし、それによってまさに「神の教会」「聖なる者とされた人々」にふさわしい者としてくださるのです。「至るところで主の名を呼び求める」ことがどんなに大切なことであるかが分かります。

牧師 柏木英雄