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先週の説教より

「命の恵みを共に受け継ぐ」ペトロの手紙(一)3章1-7節(2/19説教)

 7節に「命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい」とあります。この御言葉によって、夫婦とは共にキリストにおける神の恵みを受け継ぐ者として尊敬し合いながら生きるべきものであることが言明されています。

 夫婦(結婚)とは、聖書によれば、共に神を信じて生きるために神がお与えくださったものです。創世記2章18節の「人が独りでいるのは良くない」とは、一人では誘惑に負けて神を信じる信仰に生きることができないからです。それ故に神は、助け合って共に信仰に生きるために「女」(助ける者)をお与えくださったのです。アダムとエバが「禁断の木の実」を食べた時(創世記3章)、特に重大なことは「二人で」「共に」罪を犯したことです。一方が罪を犯そうとした時、他方がそれをとがめ、助け合って罪を犯さないようにすべきだったのです。それができなかったところにアダムとエバの原罪の罪深さがあったのです。

 エフェソ5章21節に「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」とあります。夫はキリストに服し、肉の思いが清められて初めて「キリストの立場」に立つことができ、妻もキリストに服し、肉の思いが清められて初めて「教会の立場」を取ることができるのです(32節)。夫も妻も共にキリストに服することによって初めて夫婦の良き交わりが生れるのです。

 今日の3節以下に「あなたがたの装いは~派手な衣服といった外面的なもの」ではなく「柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです」とあります。妻がキリストに服する時、自ずから「内面的な美しさ」が現れ、それが夫を信仰に導く(1節)力になると言っているのです。夫も妻も共にキリストに服することによって、初めて「命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬し」(7節)合う生き方が可能となるのです。

牧師 柏木英雄