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先週の説教より

「自分たちの内におられるキリストの霊」 ペトロの手紙(一)1章10-12節(9/25説教)

 11節に「預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、~」とあります。「キリストの霊」とは、キリストの中に働く神の霊と言うことができます。そのようなキリストの霊が預言者たちの中に働くことによって、旧約の預言者たちは、将来神が与えてくださるメシア(救い主)は「栄光のメシア」ではなく、「苦難のメシア」である、と自らの魂の内に示されたのです。

 旧約聖書イザヤ書53章に記されている「苦難の僕」は、そのようなキリストの霊によって預言者たちの魂に証しされたことなのです。主イエスがお生まれになる500年以上も前のことであるにもかかわらず、まるで主イエスの十字架の御苦しみを眼前に見ているように語り、「苦難を通して栄光に至る」メシアが証しされていることに驚かされます。

 なぜメシアは苦しまなければならないのでしょうか。それは人間に罪があるからです。人間を罪から救うためには、罪が赦されなければなりません。しかし、罪を赦すためには、罪を忍ばなければならず、罪のために苦しみ、死ななければならないからです。それ故に、人間を罪から救うメシアは罪のために苦しむ「苦難のメシア」とならざるを得なかったのです。そのようにして預言者たちは「自分たちの内におられるキリストの霊」によって「苦難のメシア」について預言することができたのです。

 ペトロは、小アジアのキリスト信者たちに与えられている救いが旧約の預言者たちによって証しされ、「天使たちも見て確かめたいと願った」(12節)ほどに尊い救いであることを語って、彼らの信仰を励ましているのです。

牧師 柏木英雄