先週の説教より
「キリストの業に命をかけ」フィリピの信徒への手紙2章25-30節(6/12説教)
パウロがエパフロディトについて「主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです」(29~30節)と言う時、パウロはエパフロディトを立てているのです。
エパフロディトはパウロに仕えるためにせっかくフィリピ教会から派遣されて来たのに病気になり、しかも死ぬほどの重病となり、パウロに仕えるどころか、かえってパウロに心配をかけ、フィリピ教会の人たちの期待にも応えることができなかった自分を恥じているのです。そのエパフロディトをかばうようにパウロは「あなたがたのできない分を果たそうとして、キリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭った」のだから、彼のような人は敬われなければならない、と言うのです。人間的な思いで批判するようなことはせず「主に結ばれている者として大いに歓迎してください」と言っているのです。エパフロディトの気持ちを深く思いやるパウロのきめ細やかな心遣いがよく表されていると思うのです。
パウロが「キリストの業に命をかけ」と言う時、パウロは自分自身のことをこの言葉に重ね合わせていたのではないでしょうか。「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順で」(8節)あられた主キリストを覚えながら、主キリストの霊的臨在の恵みに与りつつ、主の救いを証しするために「命をかけた」使徒パウロでありました。このパウロに少しでも倣うことが私たちにも求められているのではないでしょうか。
牧師 柏木英雄