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先週の説教より

「後ろを振り向くと、主が」ヨハネによる福音書20章11~18節(4/17説教)

 主イエスが葬られた墓の外に立って泣いていたマリアの後ろから、復活の主イエスが近づき、「婦人よ、なぜ泣いているのか。~」と声をかけられました。マリアは園丁だと思い「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」と話している時、復活の主が「マリア」と声をかけられ、マリアの心の目が開かれることによって、マリアはそれが復活の主イエスであることに気づき、「ラボニ」(先生)と言って嬉しさのあまり復活の主イエスの体に抱きついたのです(11~16節)。

 その時、復活の主は「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のものへ上っていないのだから」(17節)と言われました。これは復活の主が自分の体に触ってはいけない、と言われたのではないと思うのです。復活の主イエスは、トマスがイエスの体の十字架の傷跡に触って確かめてみるまでは主イエスの復活を信じないと言い張った時、トマスの前に現れ、トマスが主の体に触ることをお許しになりました。そうであれば、復活の主はマリアが主の体に抱きつき、復活の主の実在を確かめることはお許しになったのです。

 復活の主はこのことをマリアに言われたのです。主イエスの復活に対する確信は、復活の主の体を抱きしめることによってではなく、天に上られる復活の主イエスの御言葉と霊の助けによって「心の目が開かれる」ことを通して与えられることを忘れないようにと。その意味を込めて「わたしにすがりつくのはよしなさい。わたしはまだ父のもとに上っていないのだから」と言われたのです。復活の主イエスはマリアの気持ちを十分に受け止めながら、その上で、天上の霊によって生きて働き給う復活の主の救いの恵みの中に生きていくように、とマリアに教えておられるのです。