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先週の説教より

「共に恵みにあずかる者」フィリピの信徒への手紙1章3~7節(3/13説教)

 7節に「監禁されているとき」とあります。パウロが捕らえられている牢獄がローマであるなら、ローマ帝国による迫害が考えられますが、エフェソであるならユダヤ教徒による迫害が考えられます。しかし、パウロが最も心を痛めた問題はそのような(異教徒による)迫害ではなく、同じ主イエス・キリストを信じる信仰の立場にありながら、その信仰理解の違いの故に心を一つにすることができないという教会の中にある不一致の問題でした。

 そのことを暗示している言葉が1章15~17節です。「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。」この言葉の中に、同じ信仰に生きながら、心を一つにすることができない不一致の問題が当時のキリスト教会の中に(すでに)あったことが示されています。しかし、それは単なる信仰理解の違いの問題ではなく、「不信仰」が「信仰」の形を取って現れて来るという信仰の内的・質的な問題であった故に、一層深刻な問題としてパウロの心を悩ませたのです。

 その点でパウロの心を深く慰めたのがフィリピ教会でした。フィリピ教会の人々は、福音宣教の「最初の日から今日まで」(5節)、忠実にパウロに従って、否、神の御心に従って正しい信仰の中に生きて来たからです。パウロがフィリピ教会の人々を「共に恵みにあずかる者」(7節)として深い連帯の中に覚えることができることが、パウロの喜びであり慰めだったのです。

牧師 柏木英雄