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先週の説教より

「なぜお見捨てになったのですか」 マルコによる福音書第15章33節~41節(1/23説教)

 主イエスは十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫んで息を引き取られました。なぜ神がわたしをお見捨てになったのか、その理由が分からない、というのです。なぜなら、わたし(イエス)はどこまでも神を信頼して神と共に生きて来たのだから、わたしが神から見捨てられる理由がない、と主イエスは言われたのです。主イエスだけが問うことができる問いではないでしょうか。

 それにもかかわらず、神はわたし(イエス)をお見捨てになった、それなら、わたしが見捨てられたのは、わたし自身のためではない、わたし以外の人のため、わたし以外のすべての人間のために、わたしは代わって神から見捨てられたのだ。そう宣言して、主イエスは十字架上で息を引き取られたのではないでしょうか。主イエスのこの謎のような十字架上の言葉をそのように理解することができるのではないでしょうか。

 神に「見捨てられる」とは、神から一切の助けがなく、完全に放任されるということです。究極的には、聖霊の助けがないということです。私たちはどんなに困難な状況に置かれても、神から聖霊の助けを与えられることによって望みをもって強く生きることができます。主イエスはその聖霊の助けも与えられなかったのです。それなら、主イエスは完全に神から見捨てられたのです。それでは、主イエスは絶望されたのでしょうか。そうではありません。なぜなら、そのようにすべての人間に代わって神から見捨てられることがメシアとしてのご自分の使命であることを主イエスは知っておられたからです。そうであるなら、主イエスは深い充足の中に息を引き取られたのです。

牧師 柏木英雄