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先週の説教より

「反対を受けるしるしとして」 ルカによる福音書2章22-40節(12/26説教) 

 神の御子イエスは、現実には一組の貧しいユダヤ人夫婦の長男として生まれました。そのことが、モーセの律法に従ってマリアの清めと幼子イエスの奉献の儀式が行われたことを語る22節以下の記事によって示されています。

 つまり、幼子イエスは一人のユダヤ人夫婦の子供として生まれたのですから、外見から見てこの幼子が神の御子メシアであると見抜くことは人間的には不可能なことだったのです。それにもかかわらず、この幼子を御子メシアと見抜くことができた人がいた、それがシメオン(25節以下)とアンナ(36節以下)という二人の信仰者であったと強調しているのが今日の個所なのです。幼子の両親マリアとヨセフが驚いたのはそのためでした(33節)。なぜなら、二人は幼子が聖霊によって神から与えられたメシアであることを知っていましたが、それはあくまで幼子が成長してメシアとしての働きをしてからのことと考えていたからです。

 シメオンは、メシアの出現を待ち望む熱心な信仰生活の中で「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」との約束を神から与えられていました(26節)。その約束を信じる喜ばしい緊張の日々の中で、両親が幼子イエスを連れて神殿に上った時、シメオンは聖霊の導きの中で一瞬のうちにこの幼子が神が約束されたメシアであることを確信したのです。シメオンは幼子を抱き「わたしはこの目であなたの救いを見た」(30節)と語りました。幼子の中に「神が共にいます」(インマヌエル)事実を見ることができたからです。それによってシメオンは、この幼子がインマヌエルの恵みのうちに人間としての真実に生きることを通して、多くの人を救うだけでなく「反対を受けるしるしとして」も定められている(34節)ことを見抜くことができたのです。

牧師 柏木英雄