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先週の説教より

「死に値すると決議した」  マルコによる福音書14章51-65節(10/24説教) 

 「そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。『何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。』しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった」(60~61節)とあります。主イエスは既に十字架の死を覚悟しておられるのですから、何も答える必要がなかったのです。

 「そこで、重ねて大祭司は尋ね、『お前はほむべき方の子、メシアなのか』と言った。イエスは言われた。『そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る』」(61~62節)とあります。大祭司の、誰もが聞きたいと願った最も核心的な問いに対して、主イエスは初めて口を開き、ご自分が来るべきメシアであることを明言されました。「全能の神の右に座る」とは、主イエスが十字架の死を全うし復活され、昇天された時に起こることでした。「天の雲に囲まれて来る」とは、主イエスの救いの完成としての再臨を意味しました。これらの御言葉の中にすでに十字架の死を担い抜く主イエスの決意が込められているのです。

 いずれにしても主イエスはご自身が神から遣わされたまことのメシアであることを明言されたのです。本来なら、この主イエスの言明に対して大祭司は「衣を裂いて」(63節)主の御前にひれ伏し、自らの罪を言い表し、主の赦しを求めるべきだったのです。しかし、現実に起こったことはそれとは正反対のことでした。「大祭司は、衣を引き裂きながら言った。『これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒瀆の言葉を聞いた。どう考えるか。』一同は、死刑にすべきだと決議した」(63~64節)。主の御言葉に服することのない、どこまでも自分を正しいとする罪深い人間の姿がここに表わされているのです。この罪を主イエスは十字架の死をもって担い抜いてくださったのです。

牧師 柏木英雄