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先週の説教より

「記念として語り伝えられる」  マルコによる福音書14章3-9節(9/5説教)

 3節後半に「一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」とあります。 この女性がマルタの妹マリア(ヨハネ12章3節)であるとするなら、彼女は主イエスの受難が迫っていることを知っていたのです。主イエスの御言葉を深く聞くことによって。そして、主イエスの受難がイエスとの地上の別れを意味する故に、それは何としても避けたいという思いと、主イエスの受難がすべての人間の、何より自分自身の罪の贖いのためであり、イエスがそのために「贖いの小羊」として神から遣わされたお方であることを知る故に、主イエスの受難は決して避けることができないことを知る思いの中で、彼女の心は深く引き裂かれたのです。その引き裂かれる思いが高価な香油をイエスの頭にすべて注ぎかけるという激しい行動となってあらわれたのです。

 この女性の行動を目の当たりにした弟子たち(マタイ26章8節)は、憤慨して「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油を三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」(4~5節)と批判したのです。弟子たちはイエスの受難はない方がいいと思っていたのです。イエスは受難のメシアではなく、栄光のメシアであってほしいと思っていたのです。そして自分たちは栄光のメシアの弟子でありたいと思ったのです。それ故に、弟子たちにとって主イエスの受難は「無駄なこと」のように思えたのです。そのために、受難に向う主イエスに対して表わした女性の敬愛と献身の行為も、弟子たちには「無駄使い」としか思えなかったのです。

 その弟子たちに対して主イエスは、女性をかばうように「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」(9節)と言われたのです。この女性の行為は主の福音に与るための最も模範的な行為であると、主イエスは言ってくださったのです。

牧師 柏木英雄