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先週の説教より

「天の故郷を熱望する」 ヘブライ人への手紙11章13-16節

 ヘブライ人への手紙11章16節に「天の故郷を熱望していた」とあります。天の故郷を熱望していたということは、天の故郷を知らないから、ではありません。天の故郷をよく知り、天の故郷がどんなにすばらしいところであるかをよく知っている故に、熱望するのです。天の故郷が本当に人を生かすところ、救いの完成であることを、この世の生活の中で既に味わい知っている故に、それを「熱望する」のです。

 天の故郷とは、主イエス・キリストご自身のことです。主キリストが支配しておられる天の御国のことです。私たち信仰者は、それをこの世の現実の生活の中で既に味わい知っているのです。主が共にいてくださる恵みの中で。

 パウロは「生きるとはキリストであり、死ぬことは利益である」と言いました(フィリピ1章21節)。パウロにとって、この世の現実を生きることは、キリストの霊的臨在の恵みに頼りつつ生きる信仰生活なしには、あり得ないことなのです。キリストの霊的臨在の恵みの中で、肉の思い清められ、主にある平安の中で、人を愛し人と共に生きることなしには、この世の現実を生きることが空しいことを、パウロは知ったのです。キリストの霊的臨在の恵みなしには、果てしのない罪と悪の連鎖の中を生きざるを得ない人間の生の空しさを、パウロは知ったのです。そして、この世の生活の中でキリストを求め、キリストの霊的臨在の恵みに生かされつつこの世の生を全うすることが、天上のキリストの全き救いの中に入れられることであるなら、パウロにとって「生きることはキリストであり、死ぬことは最高の利益」なのです。

そうであるなら、キリストを信じる者は、既に「天の故郷」の恵みの尊さを十分に知っているのです。それ故に「天の故郷を熱望する」のです。

牧師 柏木英雄
(2019年11月10日週報)