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先週の説教より

「大きな苦難が来る」 マルコによる福音書13章14-23節 (7/25説教)

 主イエスは世の終わりの「徴」として、隠された人間の罪が「露わになる」ことについて語られました(6~8節)。そうであれば、世の終わりの「終局」は人間の罪深さがすべて明らかになる、ということです。「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つ」(14節)とはそのことを意味しています。「憎むべき破壊者」「憎むべき荒廃をもたらすもの」(ダニエル12章11節)とは、罪そのもの、悪そのものということです。それが「立ってはならない所」、即ち、「神」の立場に立ち、すべてを支配するのです。それ故に「それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来る」と言われ、その苦難の故に「主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない」ほどである(19~20節)と言われるのです。

 そのように人間の罪がむき出しになり、究極的な試練の時が来た時、私たちはどうすればよいのでしょうか。その時は「山に逃げなさい」(14節)と主は言われるのです。「山に逃げる」とは、神との祈りの交わりの中に逃れるということです。人間の罪が露わになる時、私たちがなすべきことはそれ以外にないのです。「屋上にいる者は下に降りてはならない。~畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない」(16節)とは、それほどに緊急性を要するということです。全力を挙げて、すべてを投げ捨てて、神との祈りの交わりの中に逃れて行きなさい、と主イエスは言われるのです。

 人間の罪が露わになる時(私たち自身の罪も露わになるのです!)、私たちがなすべきことは主キリストとの祈りの交わりの中に逃れる以外にないのです。主キリストのもとにだけ真の命、清さ、愛と赦しがあるからです。人間の罪が露わになる時、私たちも罪に巻き込まれる危険があるのです。その時、祈りの内に主の御許に深く逃れ、その恵みに包まれ、主の命に生かされる以外に救われる道はない、と主イエスは言われるのです。

牧師 柏木英雄