先週の説教より
「乏しい中から献げた」 マルコによる福音書12章41-44節 (7/4説教)
主イエスは弟子たちを呼び寄せて言われました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」と(43~44節)。「はっきり言っておく」には「アーメン」という言葉が使われています。主イエスはこのやもめの献金の尊さを弟子たちに強調しておられるのです。
「乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れる」ことができたのは、このやもめが日々の生活のすべてを神に委ね、一日一日神と共に生きる信仰生活をしていたからです。そのような信仰生活であればこそ可能な献金だったのです。主イエスはやもめの献金の中に、そのような信仰生活をご覧になったのです。
神と共に生きる信仰生活とは、神と共に生きようとしない自らの不信仰、不従順、罪を知っているということではないでしょうか。「主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。主よ、憐れんでください。わたしは嘆き悲しんでいます」(詩編6編2~3節)という祈りを神に献げながら、自分の不信仰と戦いつつ生きているということではないでしょうか。
あのやもめはそういう信仰の戦いを知っていたのです。そして、何よりもその戦いの中で、祈りに答えてくださる神のインマヌエル(神共にいます)の恵みを知り、その恵みの中に日々を生きていたのです。それ故に、やもめは乏しい中にありながらも、神への深い感謝と喜びのうちに、自分の持っている物をすべて献げるという「偉大な献金」をすることができたのではないでしょうか。
牧師 柏木英雄