先週の説教より
「悔い改めなさい」 使徒言行録2章37-42節(5/30説教)
2章14節以下にペトロの説教が記されています。まずペトロは自分たちが受けた霊が旧約聖書ヨエル書によって預言されていると語ります。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。~」(17節)と。次に主イエスについて、イエスがガリラヤのナザレという全く無名の地の出身でありながら、神共にいます(インマヌエル)恵みに生きることによって「神から遣わされた」真のメシアであることを証ししたにもかかわらず、イスラエルの人々は「律法を知らない者たちの手を借りて」(23節)卑劣な仕方で十字架につけてしまったと語り、しかしそのことは初めからの神のご計画であり、イエスの十字架によって全ての人間の罪を(従ってあなたがたの罪も!)贖うためであったと言うのです。そして神はこのイエスを死の苦しみから解放し復活されられたが、神の御力によって罪から守られた方が「死に支配されたままでおられる」(24節)などということはあり得ないことだったと、詩編のダビデ自身の言葉を引用しながら主イエスの復活を説明しています。
旧約聖書を駆使した力強いペトロの説教に人々は強く「心を刺され」(口語訳37節)「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねたのです。それに対してペトロは、愛をもって、しかし、きっぱりと「悔い改めなさい。~イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(38節)と語ったのです。ペトロ自身主イエスを3度否み、主の弟子として「取り返しのつかない」罪を犯してしまったのです。その自分が主イエスの十字架によって罪赦され、いま主の復活の命に聖霊によって生かされていることを知る時、イスラエルの人々もまた主の愛と赦しの中にあることを信じて疑わないペトロだったのです。