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先週の説教より

「朝の食事をしなさい」 ヨハネによる福音書21章1-14節(5/2説教)

 岸辺に立つ人の「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」という言葉に促されて弟子たちが網を打つと、網を引き揚げることができない大漁になり、それを見たヨハネはかつての大漁の奇跡(ルカ福音書5章)を思い出し、岸に立つ人が復活の主イエスであることに気づかされたのです。

 ヨハネがペトロに「主だ」と言うと、ペトロは裸の体に上着をまとって湖に飛び込み、復活の主のもとに急いだのです(7節)。かつて同じ大漁の奇跡を経験した時、ペトロは恐れを感じて主イエスの足もとにひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」(ルカ5章8節)と言ったのです。そのペトロが復活の主であることに気づくと、今や誰よりも早く主のもとに「馳せ参ずる」者に変わったのです。ペトロにとって復活の主は今や本当に慕わしいお方になったのです。ペトロは主イエスの十字架が何よりも自分の罪の贖いの死であることを理解し始めたのです。そして復活の主はそういう罪人である自分を復活の命の中に清めつつ生かしてくださるお方であることを知ったのです。その時、ペトロにとって復活の主は限りなく慕わしいお方になったのです。

 弟子たちが陸に上がってみると、炭火がおこされ、その上に魚がのせられ、パンも添えられていました。朝の食事が整えられていたのです。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と主に促された時、「あなたはどなたですか」と問う者はいませんでした(12節)。誰の心にもそれが復活の主イエスであることが明らかだったからです。復活の主との豊かな沈黙の朝の食事の中で、ペトロは改めて心深く主の弟子として生きる決意を固めたのではないでしょうか。