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教会だより

「イエスは空腹を覚えられた」 マルコによる福音書11章12-14節(2/14説教)

 主イエスが「空腹を覚え」(12節)、いちじくの木に近寄り、実がなっていないか確かめ、実がなっていなかったので、その木に向かって「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」(14節)と言われると、そのいちじくの木は枯れてしまった(20節)、というのです。

 この主イエスの行為は乱暴で主イエスにふさわしくないように思われますが、主イエスはこの行為をあえて弟子たちの前で行うことによって(14節)、主イエスが今置かれている立場が極めて重大であり、この主イエスの歩みはどんなことがあっても守られなければならないことを弟子たちに教えようとされたのではないでしょうか。主イエスは今、十字架の死と復活に向かって歩んでおられるのです。この主イエスの歩みは何としても支えられなければならないのです。その主イエスが「空腹」を覚えておられるなら、その腹が満たされ、主イエスが力強くこの歩みを進めることができるように、主イエスは守られ支えられるべきなのです。主イエスはこのことを教えようとして、あえて弟子たちの前でこのような行為を行われたのではないでしょうか。

 主イエスは今、十字架の死を遂げ、復活の命を現わし、すべての人間の救い主としていてくださいます。その主イエスは今、すべての人から主とあがめられることを求めておられるのです。その意味で、主イエスは「空腹」を覚えておられるのです。主ご自身のためではなく、私たち一人一人の救いのために。その意味では、主イエスの「空腹」は決して満たされることがないのではないでしょうか。そして、主イエスがそういうお方としていてくださることが私たちの慰めであり、私たちの救いなのではないでしょうか。

牧師 柏木英雄