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教会だより

「星に導かれて」 マタイによる福音書2章7-12節

 今日はクリスマス・イブです。救い主イエス・キリストの御誕生の夕べを覚えつつ礼拝を献げたいと思います。まず、今日の前の個所2節に「そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」とあります。「東の方」とは、ヨルダン川の東のことで具体的にはアラビア地方を指しています。言い換えれば、異邦の国々のことです。つまり、異邦人がわざわざ「ユダヤ人の王としてお生まれになった」救い主イエス・キリストの御誕生を祝うために来たのです。このことは、救い主の御誕生がひとり神の民イスラエルのためだけではなく、全世界の救いのためであったことを意味しているのです。

 救い主の母として選ばれたマリアはガリラヤのナザレに住む全く無名の一人の女性でした。その夫ヨセフも同じナザレに住む貧しい大工を職業としていた男性と言われています。そのようなイスラエルの中でも全く取るに足りない一組の夫婦の身に起こった一つの命の誕生が全世界の救い主の誕生であったという事実の落差の大きさに驚かされます。

 しかし、このことはすでに幼子イエスの誕生の仕方の中に暗示されていたのです。この幼子はマリアの胎の中に、聖霊によって身ごもった命でした。男性の働きを用いないでマリアの胎の中に命が宿るということ自体が、前代未聞のことでした。それ故に、マリア自身が自分の身に起こったことを信じることができないで悩みましたし、夫となるヨセフもそういうマリアを受け入れることができないで離縁しようとしたのです。そういう状況の中で神は深い配慮をもって二人を導き、まさに聖霊の助けによってマリアもヨセフも自分たちの身に起こった不可解な出来事が神の御業によることであることを、心から信じることができるように導かれたのです。このことによって初めてクリスマスの出来事は実現の緒に着くことができたのです。

 聖霊によって子供が生まれるということ(無から有が生み出される、いや、死人がよみがえらされるということ)は、神の全能の御業と言うほかはありませんが、それによって生まれた子供は、生まれた時から神の守りの中、即ち、聖霊の守りの中にあったのです。言い換えれば、この罪の世にあってただ一人罪から守られたお方として生きられたのです。このことがすでに前代未聞のことあって、全人類の救いのためということを指し示しているのです。

 主イエスの十字架は、どんなに罪を受けてもその罪に対して決して仕返しをしない、悪をもって悪に報いない、真実の愛と赦しもってその悪を受けるということを意味しています。そのように主イエスが十字架の死を全うすることによって初めて罪の贖いが成就し、どんな罪人もその罪を赦され主イエスの復活の永遠の命に与って生きることができる救いの道が開かれたのです。そのようにして天の神は、御子イエスの十字架と復活によって全ての人間のために真の平和に生きる救いの道を開いてくださったのです。そうであるなら、幼子イエスが聖霊によってマリアの胎の中に宿ったということ自体が人類史上唯一無二の出来事であり、そのことがすでに主イエスの御誕生が全人類の救いのためであることを指し示しているのです。先ほどの「東の方から」の占星術の学者たちが、不思議な神の導きによって救い主の誕生を祝うためにはるばるイスラエルを訪ねて来たということは、そのことを証ししているのです。

 ところで、肝心の神の民イスラエルの人々はその時どうであったかと言えば、彼らは全く救い主の誕生を知らされていなかったのです。そして3節によれば「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」と記されています。つまり、イスラエルの人々は自分の国で生まれた救い主の誕生を全く知らされていなかったし、東方から来た学者たちによってその誕生を知らされた時、ヘロデ王もエルサレムの人々も皆「不安」を感じたのです。肝心の神の民イスラエルの人々は少しも救い主の誕生を期待していなかったし、それを知らされた時不安を感じたのです。まことに情けない神の民の姿です。この神の民イスラエルによって、主イエスは「これは本当のメシアではない、偽メシアである」として十字架につけられ、主イエスがその十字架をまことの愛と赦しをもって受けてくださることによって、罪と死に勝利する復活の永遠の命の道が開かれたのです。

 それに対して、異邦の占星術の学者たちは、今日の9節以下にありますように「東方で見た(不思議な)星」によって、幼子イエスの誕生の場に導かれ、心からの喜びをもって救い主誕生を祝ったのです。ここに「東方で見た星が先立って進み」とあります。この異邦人は「占星術の学者」でしたから、文字通り「星」に導かれたのですが、この「星」とは、言い換えれば、私たちを主イエスへと導く「きっかけ」を与えてくれるものと考えることができるのではないでしょうか。その意味で言えば、異邦の占星術の学者とは、真理探究者、つまり、人間の本当の救い、本当の幸せ、本当の生き方を求めている人と言うことができるのではないでしょうか。

 人間の本当の幸せ、本当の生き方、本当の救いを心から求めている人は自ずから救い主イエス・キリストへと導かれるのではないでしょうか。一人の人間として本当の生き方、本当の救いを求めて模索し、悩み、苦しむ人は、あらゆる人種の違いを超えて皆不思議な「星」に導かれて、主イエス・キリストのもとに来るのです。つまり神は、私たちの人生の歩みの中で様々の「星」を用いて私たちを救い主へと導いてくださるのです。人との出会いを通して、或いは、たまたま教会の看板やチラシを見てそれがきっかけで教会に来ることがあります。書物を通して、或いは、テレビやインターネットなどを通して主イエスに関心を持ち主イエスを信じる者となることがあります。家族、或いは、親戚の中にクリスチャンがいてキリストを知るようになった人もいます。それらが「導きの星」なのです。神はあらゆる「星」を用いて、私たちを全人類の救い主である主イエス・キリストへと導いてくださるのです。

 神は一組の全く無名の夫婦を用いて全人類の救い主を誕生させてくださいました。そうであれば、神は全世界のすべての人一人一人の魂の内に臨んでくださり、日常のあらゆる出来事を通して常に主イエス・キリストの救いへと導いてくださるのです。主のもとに本当の愛、本当の赦し、本当の平和があるからです。クリスマスの夕べに、神によるこのような不思議な「星の導き」があることを深く覚えたいと思います。

牧師 柏木英雄