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教会だより

「主の栄光に照らされて」(クリスマス礼拝) ルカによる福音書2章1-7節(12/20説教)

 神は、御子イエスの誕生を実現させるためにマリアとヨセフに対して深い配慮を行われました。マリア自身が自分の胎の中に行われた聖霊による懐妊を心から信じることができるように、また、ヨセフが聖霊によるマリアの懐妊を心から受け入れ、マリアを信頼することができるように。

 聖霊によるマリアの懐妊を信じ合うことができた二人の日々は本当に幸せなものでした。マリアの胎の命が成長するにつれ、二人の神への信頼はいよいよ確かなものになりなったのです。その幸せな日々が、突然、破られたのです。ローマ皇帝アウグストゥスによる住民登録の勅令のためでした。それによってマリアとヨセフはガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで150キロの旅を余儀なくされたのです。しかも、マリアは臨月を迎えていました。なぜ神はこのような試練を自分たちにお与えになるのか、という神への疑いが生じ得る状況でした。しかし、二人はマリアの胎の中に確実に成長している幼子の命によって信仰の内に支えられたのです。この命が与えられている限り、神はこの命と共に自分たちを守り給うという信仰が、二人を守ったのです。

 この信仰に支えられながら、二人はあらゆる困難を乗り越え、無事ベツレヘムの馬小屋で幼子イエスを出産することができたのです。現実は惨めなものでした。しかし、二人はその現実に屈することがありませんでした。幼子イエスが飼い葉桶に布にくるんで寝かされているベツレヘムの馬小屋は「主の栄光に照らされ」(9節)、二人は深い信仰の喜びと感謝に溢れたのです。

 神は、深い配慮の中にマリアとヨセフを守りました。神は、救い主の誕生を祝い主イエスの救いを信じる私たちにも深い配慮を与えてくださるのです。主イエスを信じる私たちの信仰生活は貧しいものかもしれませんが、罪の世にあって主を信じる信仰生活は「主の栄光に照らされた」生活なのです。

牧師 柏木英雄