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教会だより

「神を賛美しつつ生きる」 エフェソの信徒への手紙五章十九節

私たちの信仰の一つの特徴は、「神を賛美すること」です。礼拝では、最初に讃美歌を歌い、最後に讃美歌を歌います。礼拝の中でも、聖書を読んでは讃美歌を歌い、祈っては讃美歌を歌います。礼拝の中の一つ一つの行為が讃美歌で始まり、讃美歌で終わる形をとっています。つまり、礼拝全体が讃美歌によって支えられているのです。

 なぜ、神を賛美するのでしょうか。それは、神というお方が、賛美せざるを得ないほどに恵み深く、感謝すべきお方だからです。

 私たちの信じる主イエス・キリストの父なる神は、一言で言えば、どんな罪をも赦してくださる恵み深い神です。神の御前に赦されない罪はありません。どんなに恐ろしい罪を犯しても、どんなに弱く、愚かな歩みであっても、神は決してお見捨てになりません。どんな人をも、どこまでも愛し、助けてくださる愛に溢れた神なのです。

しかし、この愛の神は、同時に、どんな小さな罪をも決していい加減にされない、真実な、真理の神でもあります。真っ白な布に一点のシミがあればすぐ気づかされるように、神はどんな小さな隠れた罪も見逃さず、罪として裁かれます。

ただ、私たちがその罪を認め、心から赦しを請うなら、喜んで赦してくださる神なのです。「あなたは罪を犯しましたね」と言われ、「はい、わたしは罪を犯しました」と言えば、「それでは、赦そう」と言ってくださる、その意味で、真実で、憐れみ深い神なのです。

 神が私たちの罪を赦してくださるとは、どういうことでしょうか。神が私たちの罪を赦してくださることによって、どういうことが起こるのでしょうか。目には見えませんが、主キリストが聖霊において「共にいてくださる」(インマヌエル)という恵みが与えられ、不思議な心の平安へと導かれる、ということが起こるのです。これが、神が私たちの罪を赦してくださることによって与えてくださる恵み(救い)なのです。この恵みの中から、神への賛美が生まれ、この恵みの故に、神を賛美する生活が与えられるのです。

 私たちの信仰の中心は、神の御子、主イエス・キリストです。この主イエスにおいて最も重要なことは、この方が十字架にかかって死なれたことですが、ただ十字架にかかって死なれただけではなく、その十字架の死において二つことを全うされたことが決定的に大切なことなのです。

一つは、十字架の死において、どんなに苦しく、惨めな状況にあっても、天の父なる神への信頼を失わなかったことです。「神は必ずわたしをお守りくださる」という神信頼を失わなかったのです。父なる神の守りを信じ抜いたことです。

もう一つは、自分を憎んで十字架につける人々(敵)を、決して憎まなかったことです。むしろ、その人たちのために神に執り成しの祈りをされたのです。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか分からないのです」と言って、人々のために執り成しの祈りをされたのです。つまり、敵をも愛する真実の愛を示されたことです。

この二つのことが、主イエスの十字架の死において真に実行されたことが最も大切なことなのです。

この世には、主イエスの十字架の死より恐ろしい死に方をした人はたくさんいるでしょう。しかし、あのような状況の中で、神への真実の信頼を保ち、人々への真実の愛を失わなかった人は、主イエス・キリストただ一人、と言わざるを得ないのです。そしてこの主イエスの真実な十字架の死の故に、誰もその道を開くことができなかった、死に勝利する復活の命の道が開かれたのです。

死からの復活ということは、すべての人間理性の躓きであり、信じがたいことです。しかし、主イエスの十字架の死においてそのこと(死者からの復活)が起こったのは、主イエスの十字架の死がそれほどに真実な死であり、神の御心に適った、真に神に喜ばれる死であったからなのです。主イエスの十字架における神信頼と人々への執り成しの祈りが、うそ偽りのない真実なものであることを、天の父なる神が承認された故に、天地万物をお造りになった神の全能の御力が主イエスの身に働き、人間の最後の敵である死が打ち砕かれ、主イエスは復活させられたのです。

 この復活の主イエスが、いま天にあって父なる神の右に座し、私たち一人一人のために、ご自身の十字架を掲げて、父なる神に執り成していてくださると共に、(その主イエスの執り成しによって父なる神の憐れみの御心が動かされることによって)目には見えませんが、聖霊の働きの中で、主イエスが私たちの魂の内に臨んでくださり、それによって私たちを深い心の平安へと導いてくださるのです。

 この主イエスの霊的臨在の恵み(インマヌエル)こそ、神が私たちに与えてくださる最大の恵み(救い)なのです。この恵みの故に、私たちは神を賛美し、この恵みの故に、神を賛美する生活が私たちに可能となるのです。そして、この生活の中にこそ、この世における真実の愛と平和の生活が成り立つことを信じるものです。

牧師 柏木英雄
(教会だより2019年12月号)