教会だより
「何者だろう、うわさの主は」 ルカによる福音書9章7-9節(9/6説教)
7節に「領主ヘロデは、これらの出来事を聞いて戸惑った」とあります。領主ヘロデは世俗的な人間で、信仰のことなど全く関心がなかったのです。それにもかかわらず、主イエスの宣教の働きを聞いて「戸惑い」、「何者だろう、耳に入ってくるこんなうわさの主は」と思い、「イエスに会ってみたい」と思った(9節)ということは、主イエスの宣教活動が現実のイスラエル社会の中でそれだけ力強いものであったことを意味しています。神の霊(聖霊)によって生きる主イエスの生き方そのものが世俗の人間ヘロデにも関心を与えるほどに力強かったのです。
ヘロデがローマ総督ピラトを通して主イエスに会った時のことがルカ23章6節以下に記されています。「彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。~ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した」(8~11節)とあります。
主イエスは十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)と祈られました。神の霊によって人間的な肉の思い(憎しみ)が清められ、心からの執り成しの祈りができるということは、「死人をよみがえらせる」神の全能の働きによるのです。そうであれば、主イエスがヘロデの辱めを抗弁せず静かに忍んでおられるということは、既に主イエスにおいて神の全能の御業(奇跡)が行われていることを意味していたのです。しかし、そのことを知る由もなかったヘロデであったのです。人間の罪の深さを思わされます。
牧師 柏木英雄
