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教会だより

「わたしの母、兄弟とは御言葉を聞いて行う人」 ルカによる福音書8章19-21節(7/12説教)

 16節に「イエスのところに母と兄弟たちが来た」とあります。マルコ3章21節には「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」とあります。

 母マリアは受胎告知の時に天使から言われた言葉を信じていました。「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる」(ルカ1章32節)。つまり、マリアが抱いたメシア像はダビデの再来のような偉大な指導者としてのメシアでした。マリアはわが子が成長してそのようなメシアになることを信じて、幼子イエスを育てたのです。

 ところが現実のイエスは、確かに多くの人から信頼される面もありましたが、他方、イスラエルの信仰の指導者たち(律法学者やファリサイ派の人たち)からは、律法に反する教えを宣べる神を冒瀆する異端者と見なされました。「あの男は気が変になっている」という批判はそれ故でした。マリア自身もわが子イエスを理解できなくなっていたのです。そのためにマリアはイエスの宣教活動をやめさせようと「取り押さえに来た」のです。

 マリアが主イエスを正しく理解することができたのは、主イエスが十字架の死を遂げ復活されてからでした。主イエスの復活を通して、主イエスの十字架の死が、わが子の異端者としての断罪の死ではなく、全ての人間の(マリア自身を含めて)罪を贖うメシアによる贖いの死であることを知ることによってでした。そのことを知ることができた時、マリアはわが子イエスが本当に神から遣わされた真のメシアであることを知ることができたのです。

 主イエスを信じ、主イエスの御言葉によって新しく生かされる者となった時、マリアは改めて本当に主イエスによって「わたしの母」と呼ばれる者になったのです。

牧師 柏木英雄