教会だより
「ともし火をかかげる」 ルカによる福音書8章16-18節(7/5説教)
「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない~」(16節)と主イエスは言われました。私たちは主イエスを信じる信仰に自信がなく、「器で覆い隠したり」「寝台の下に置いたり」して、人の目に隠すようなことをしがちではないでしょうか。しかし、信仰の「ともし火」は自分で点火し、自分で輝かすことができるものではなく、主イエスが私の中に(聖霊によって)生きて働いてくださることによって、初めて可能となることなのです。それなら、主イエスに対する心からの従順に徹することによって、ともし火を灯し、輝かすことができるように導かれるのです。
「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない」(17節)とは、主イエスへの私たちの信仰のことを言っているのではないでしょうか。心から主イエスを信じるなら、必ず主御自身がその信仰に答えて、私たちの中に生きて働き、私たちの信仰のともし火を灯し、輝かせてくださる、ということではないでしょうか。
「だから、どう聞くべきかに注意しなさい」(18節)とは、主の御言葉をどう聞くか、即ち、主の御言葉自身が私たちの中に生きて働いてくださることを信頼するような仕方で主の御言葉を聞くかどうかに注意しなさい、ということではないでしょうか。
「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる」(18節後半)とは、主の御言葉が真理であることを言っているのではないでしょうか。真理である主の御言葉に服する者は豊かに祝福されるが、主の御言葉を軽んじ服さない者はその人自身が神から与えられている賜物を十分に生かすことができないだけでなく、かえってだめにしてしまう、という主イエスの警鐘ではないでしょうか。
牧師 柏木英雄
