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教会だより

「忍耐して実を結ぶ」 ルカによる福音書8章11-15節(6/28説教)

 「道端のものとは、~悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たち」(12節)とあります。御言葉が心から奪い去られるために、全く御言葉によって生きることができない、否、御言葉があることさえ知らない人のことです。その人たちは救われないのでしょうか。しかし、死んだ後に、この世のあらゆるしがらみから解放されてキリストの真実に触れた時、最後にキリストを受け入れる道が残されているのではないでしょうか。Ⅰペトロ4章6節の「死んだ者にも福音が告げ知らされた」とはそういう人たちのことではないでしょうか。

 「石地のものとは、~根がないので、~試練に遭うと身を引いてしまう人たち」(13節)とあります。御言葉が心の中に入って根を張ることができないのです。自分中心の信じ方をしているからです。自分が問われると、自分を守ろうとして、御言葉を捨ててしまうのです。しかし、主イエスは「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われました。試練に遭い、自分が問われた時、まさにその時に「自分を捨て」、主によって生かされる信仰の道が求められているのです。

 「茨の中に落ちたのは、~人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たち」(14節)とあります。悔い改めが不徹底なのです。罪人に成り切ることができないために、この世の誘惑に負けてしまうのです。悔い改めが不徹底な自分を見つめ、まさにそこで主の霊の助けを求めることによって、罪人を生かしてくださる主の恵みを味わい知るべきなのです。

 「良い土地に落ちたのは、~忍耐して実を結ぶ人たち」(15節)とあります。自分の罪深さを知りつつも絶望せず、「忍耐強く」御言葉に頼ることによって御言葉によって新しく生かされる、全ての信仰者の目標とする生き方です。

牧師 柏木英雄