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教会だより

「悔い改めが宣べ伝えられる」 ルカによる福音書24章36-49節(4/26説教)

 「イエスは、『ここに何か食べ物があるか』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた」(41~43節)とあります。主イエスは御自分が本当に私たちと全く同じ生きた肉体をもって復活したことを強調しておられます。このことによって復活の主は何を言わんとしておられるのでしょうか。それは私たち人間の生きた(罪の)体の中に(罪と死に勝利された)復活の主の命が(聖霊の恵みの中で)働く時、私たちもまた復活の主と「同じ体」、「同じ清さ」に生きることができることを復活の主は言わんとしておられるのではないでしょうか。そのこと自体信じがたいことですが、復活の主はそのことを言わんとして、御自身が生きた人間の体をもって復活されたことを強調しておられると思うのです。

 復活の主が聖霊の働きの中で与えてくださる「清さ」は、私たちの「所有」になりません。常に新しく「清さ」の中に生かされなければならないのです。私たちが地上の命を終えて御国に導かれた時、私たちは復活の主と同じ清さの中に永遠に生きる者とされるのです。復活の主は神の全能の命に満ちた御方であられた故に、時間と空間を自由に超える御方となられました。私たちはこの世に生きる限り、復活の主の命に生かされても、時間と空間を超えることはできまません。それも私たちが地上の命を終えた時、実現されるのです。

 「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(46~47節)とあります。自らの罪の贖いのために主イエスが十字架にかかり、復活されたことを言い表す「悔い改め」こそ、復活の主の命に与る唯一つの道(方法)なのです。このことが全ての人間に求められているのです。

牧師 柏木英雄