教会だより
「目が開け、イエスだとわかった」 ルカによる福音書24章28-35節(4/19説教)
「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(30~31節)とあります。
二人の弟子は、主イエスが十字架に付けられる前の晩に弟子たちと共にされた最後の晩餐を思い出したのです。そのとき主イエスがお語りになった言葉を思い出したのです。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」(ルカ22章19~20節)。それと共に、復活の主がお語りになった言葉「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(26節)を思い出したのです。
その時、二人の弟子は、主イエスの十字架の死が、単にイスラエルの指導者たちによって悪者にされて殺された死ではなく、弟子たち自身の、否、全ての人間の罪の贖いのために代わって死なれた「贖罪の死」であることに気づかされたのです。そして主イエスの十字架の死が贖罪の死であることが分かった時、神の御心に従って死なれた主イエスが神の全能の御力によって人間の最後の敵である死に勝利し、復活されたことを信じることができたのです。それと共に、女たちが墓で天使によって告げられた言葉「イエスは生きておられる」(23節)が本当であったことに気づかされたのです。
その時、二人の弟子は、聖霊の働きの中で「心の目が開かれ」、共に食事をしている人が復活の主であることが分かったのです。そして復活の主イエスは、神の全能の御力によって人間の時間と空間の制約を自由に超えて生きる実在の御方となられた故に、姿を消すことがおできになったのです。
牧師 柏木英雄
