教会だより
「あの方は、ここにはおられない」 ルカによる福音書24章1-12節(4/5説教)
主イエスはご自分の力で復活されたのではありません。天の父なる神の全能の御力によって復活させられたのです。主イエスの十字架の死の真実が父なる神によって祝福されたからです。主イエスには十字架の死において二つの課題が与えられていました。一つは、最後まで父なる神の守りと導きを信じ抜くこと。もう一つは、敵をも愛することです。この二つは主イエスが生前最も大切なこととして語られたことでした(マルコ12章28節以下)。
隣人を愛することについては、ルカ23章34節の御言葉がそれを証明しています。「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』」。この言葉は後代の加筆と考えられますが、聖霊の導きの中で加筆が行われたのであれば、それは真正の主イエスの御言葉として信じることができるのです。
主イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15章34節)と叫んで息を引き取られました。この言葉は絶望の言葉のように聞こえます。しかし、そうではありません。なぜなら、主イエスは父なる神から「見捨てられる」ことが自らのメシアの使命と自覚しておられたからです。すべての人間に代わって神の裁きを受け、神から「見捨てられる」ことが自らの使命とお考えになっていたからです。
それなら、この言葉には安堵の気持、使命を果たした充実感が含まれていたのです。「成し遂げられた」(ヨハネ19章30節)、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23章46節)はそのことを意味しているのです。主イエスがこれら二つの課題を果されたことが父なる神に承認されたことによって、陰府に降った主イエスの御体に三日目に全能の神の御力が加えられ、主イエスは死から甦らされたのです。
牧師 柏木英雄
