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教会だより

「おびただしい病人を癒す」 ルカによる福音書6章17-19節(10/5説教)

 17節に「大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また、病気をいやしていただくために来ていた」とあります。文字通りイスラエル全土から大勢の人々が主イエスのもとに集まって来たのです。主イエスはイスラエル全土において既に注目の的となっていたのです。なぜでしょうか。それは、主イエスが「神と共にある」(インマヌエル)御方であることを皆が知るようになったからです。

 神と共にある歩みの中で、主イエスご自身が清められ、力強く御言葉を語ると共に、主イエスを通して神の全能の御力が働くことによってあらゆる病が癒されることを人々が知るようになったからです。神共にいます歩みの中で、主イエスの存在は、人間の罪の闇に輝く唯一つの光としての存在であったからです。それ故に、多くの人が主イエスのもとに助けを求めて集まって来たのです。

 19節に「群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人をいやしていたからである」とあります。主イエスから自動的に力が出て癒されたように記されています。しかしそれは、主イエスご自身が一人一人のために深く祈られたからです。その結果として主イエスご自身の中に神の命が満ち溢れ、その命に触れることによって人々は癒されたのです。

 主イエスの癒しは「贖罪的な」癒し(マタイ8章17節)です。主イエスは一人一人の病を代わって身に負う仕方で一人一人の病を癒されたのです。それが主イエスの癒しの意味です。それなら、主イエスの癒しは主イエスの十字架の死と復活を指し示しているのです。主イエスは全ての人間の罪を贖い、全ての人の魂を清めるために復活の命を現わしてくださいました。その将来実現される十字架の死と復活の出来事を念頭に置きながら、主イエスは、祈りつつ、一人一人の病を癒してくださったのです。

牧師 柏木英雄