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教会だより

「賞を得るように走る」 コリントの信徒への手紙一9章24-27節(5/26説教)

 24節に「競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい」とあり、信仰者を競技者になぞらえています。しかし、信仰は人と比べて、競争することではありません。人より自分の方が先に救われるための競争ではありません。自分の不信仰との戦いであり自分自身における競争です。ヘブライ12章1節以下にある通りです。「このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」

 パウロはキリストに出会うことによって初めて深い罪認識へと導かれました。その罪認識をローマ7章21節以下で次のように言い表しています。「善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」

 パウロは、キリストに出会う前は、このような罪を知りませんでした。いや、知ろうとしなかったのです。しかし、キリストに出会うことによって、自分が深い罪の虜の中にあり、罪人そのものであることを知るようになったのです。その時から、パウロの信仰は真剣なものとなり命がけのものとなったのです。このような罪から逃れる道は唯一つ、十字架の死を遂げ、復活され、今も聖霊において生きて働いていてくださるキリストにより頼む以外にないことを骨の髄まで知らされたパウロだったからです。「あなたがたも賞を得るように走りなさい」という言葉の背後にこのようなパウロの思いがあったのです。

牧師 柏木英雄