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教会だより

「一同は聖霊に満たされ」(ペンテコステ礼拝) 使徒言行録2章1-13節(5/19説教) 

 2節に「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」とあります。また、6節に「この物音に大勢の人が集まって来た」とありますから、聖霊が降る出来事が誰にも気づかれる「客観的な出来事」として起こったことが分かります。

 聖霊が降ること自体は一人一人の心の内奥において(密かに)起こることですが、聖霊が降り、一人一人の魂が事実「主共にいます」(インマヌエル)の恵みの中に生かされることによって、それは自ずから外部の人々に(何らか)気づかれるものとなるのです。その意味で、聖霊が降ることは「客観的な出来事」と言うことができるのです。

 聖霊が降ることは、天に上られた復活の主イエスが信じる一人一人の魂の内に救い主として臨んでくださることと同じことであると言うことができますが、聖霊には聖霊固有の働きがあることも事実です。聖霊固有の働きとは何でしょうか。それは信じる者一人一人の魂の内に「住んでくださる」(内住する)ことです。そして常に私たちの魂を主キリストの父なる神へと向けさせてくださるのです。信じる者は聖霊の恵みに与ることによって「聖霊の宮」となるのです。

 そうであれば、「聖霊を悲しませない」(エフェソ4章30節)生き方が信仰者一人一人に求められているのです。自分中心の思いに生きることによって聖霊を悲しませがちであることを思います。自らの不従順を言い表し、聖霊が力強く働いてくださることを祈る以外にないと思うのです。

 4節に「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」とあります。「ほかの国々の言葉」とは、異なる言語を越えてあらゆる人間の魂に届く言葉、即ち、キリストの福音のことです。キリストの福音は、人種を越えてすべての人間の魂に届く言葉です。弟子たち一人一人は「聖霊に満たされる」ことによって、そのような言葉(福音)を語る力を与えられたのです。改めて聖霊の働きの偉大さを思わされます。

牧師 柏木英雄