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教会だより

「謙遜を身に着けなさい」ペトロの手紙(一)5章5-7節(5/7説教)

 5節に「皆互いに謙遜を身に着けなさい」とあります。これは単なる倫理主義的な意味で言われているのではありません。5節後半に「なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです」とあり、神の恵み(キリストの霊的臨在)に与って生かされるために「謙遜である」ことが神ご自身によって求められているのです。

 これはペトロ自身の実感でした。ペトロは主イエスが十字架につけられる時、3度「そんな人は知らない」と主を否定しました。その主イエスが復活されたと聞いた時、ペトロの心に最初に与えられた思いは復活の主イエスに会わせる顔がないということだったのではないでしょうか。しかし、復活の主はペトロを咎めず、ただ3度「わたしを愛するか」と尋ね、3度「わたしの羊を養いなさい」と言われたのです。その復活の主イエスの限りない愛と赦しに触れた時、ペトロの心は砕かれ、今こそ本当に主の弟子として生きる決心を与えられたのです。ここからペトロの主の弟子としての真の歩みが始まったのです。

 カインは自分の献げ物が神に顧みられず、弟アベルの献げ物が神に顧みられたことをねたんで、アベルを憎み殺してしまいました(創世記4章1節以下)。カインは自分の献げ物が顧みられなかった時、神が自分の心の高ぶりを問うておられることに気づくべきだったのです。そのことに気づいてもう一度献げ直すなら、神はカインの献げ物をも祝福して受け入れてくださったはずなのです。そのことができなかったところにカインの罪があったのです。

 使徒パウロも復活の主イエスに出会うことによって「自分こそ正しい」という心の高ぶりが砕かれることによって、豊かに力強く主の恵みに生かされる者となったのです。心の謙遜こそ主の恵みに生かされる唯一つの道なのです。

牧師 柏木英雄