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教会だより

「思いを一つにして」フィリピの信徒への手紙2章1~5節(5/8説教)

 1節に「あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐みの心があるなら」とあります。「キリストによる励まし」「愛の慰め」「霊による交わり」はすべてキリストの霊的な臨在の恵みの中で与えられるのです。そしてその恵みに生かされる時、「慈しみ」と「憐れみの心」が与えられるのです。そのようなキリストの霊的臨在の恵みに「幾からでも」(ちょっぴりでも)触れることができるなら、キリストの全能の御力によって「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」(2節)生きることができる、とパウロは言っているのです。

 3節で「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と言われています。美しいことですが、人間的には実行不可能と思える言葉です。しかし、キリストの霊的な臨在の恵みに少しでも与ることができるなら、主の御力によってそのような生き方が可能となる、とパウロは言うのです。

 パウロは美しい天上の世界を教会の交わりの中に求めているように見えます。このようなパウロの考えは甘いのでしょうか。しかし、人間的には不可能と思えても、キリストのご臨在の恵みに与るなら可能なのです。そして、主キリストご自身が美しいのです。しかも、主は誰よりも深く人間の罪を知っておられるのです。この御方の十字架と復活と聖霊によるご臨在の恵みに与る時、人間的な肉の思いが清められ、天上の世界を映す美しい教会の交わりの中に生きることができる、とパウロは言っているのです。

牧師 柏木英雄