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教会だより

「目を覚ましていなさい」 マルコによる福音書13章32-37節(8/15説教)

 32節に「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」と言われています。「その日、その時」とは、世の終わりの終局の時であり、主イエスの再臨の時のことです。主イエスの再臨の時を主イエスご自身が「知らない」とは、不思議なことです。

 しかし、主イエスご自身が「その時」をご存知ないのであれば、私たちがその時について詮索する必要がないということではないでしょうか。なぜなら、その時がいつであれ、その時は主イエスご自身の全き姿が明らかにされる時だからです。そして私たち信仰者はすでに主イエスを知っているのです。この主イエスご自身の姿が明らかにされるのですから、この主イエスにしっかりと繋がっていれば、私たちは何も恐れる必要がないからです。

 主イエスは、今、隠れて(聖霊において)救い主として働いておられるのです。しかし、主イエスが「隠れて」働いておられるということは、私たち信仰者にとっても大きな誘惑なのです。この世の不信仰に巻き込まれて、私たち信仰者も主から離れる危険が大きいのです。それ故に、主イエスは「目を覚ましていなさい」(33、34、35、37節)と繰り返し語られるのです。隠れて働いておられる主イエスにしっかり繋がり、また、絶えず主に立ち帰り、主の復活の命に与って、主に救われた者として歩みなさいと言われるのです。

 「それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ」(34節)とあります。信仰者一人ひとりに割り当てられた仕事とは、主イエスの救いの働きに対して「目を覚ましている」ことです。それがすべての信仰者に共通に与えられた「仕事」なのです。なぜなら、そのことが一人ひとりに与えられた賜物(タラントン)を生かす唯一つの道だからです。

牧師 柏木英雄